2008.5.19
「社会縮小」研究会の呼びかけ
― 社会の「持続発展」から「縮小」へ ―
 
 昨今,産官学で「持続型発展のための」と銘打った技術開発や研究がもてはやされている.しかし,本当に持続型の発展は可能と問うと,資源枯渇にせよ,あるいは環境問題にせよ,その将来に対していささか悲観的にならざるをえない.楽観的に持続型発展を推し進めると,世界は資源を奪い合う弱肉強食の修羅場と化し,やがては日本も弱肉のグループに入ることにならないともかぎらない.
 修羅場的な破局を回避するためには,「エネルギー消費,ひいては経済規模,の縮小」を真剣に考える必要があるのではないだろうか.縮小というと,人は「江戸時代に戻るのか」と問うであろうが,われわれは,あえてイエスと答えなければならない事態を将来迎える,と危惧する.それは,化石燃料が畢竟枯渇するとするならば,究極的には避けられないであろう.ただ,そこに行き着く時間を長くし,その過程をスムーズにすることは,少なくとも可能であると信じ,それゆえそのための方策を社会科学ならびに科学技術の領域で検討する必要がある,と考える.
 巷間よく言われる「持続型発展のための技術」とは,科学技術の英知に期待して,化石燃料以外のエネルギー開発を模索し,かつ社会システムを構築しようとするものであるが,われわれはそういった方策は問題の先延ばしにすぎない,と見る.なぜなら技術は,その本質において,生産に寄与し,経済規模を拡大することを前提にしているからである.歴史の示すところ,技術をもった者は強者となり,弱者の肉を喰うようになる.その状況は,昨今の食料や資源の高騰において露骨な形で顕在化している.バイオ燃料で車を走せることは,車1台で何十人分の食料を奪いかねない(ガソリンの熱量:8400kcal/リッター).環境を解決する技術は耳に心地よいが,空気を美しくするがその汚れは水に流す,水を美しくするがその汚れを土に埋める,土を美しくするがその汚れを空にばら撒く結果になるものが少なくない.大局的に見ると,その過程でエネルギーが大量に消費されて,その汚れとエネルギー消費の付けは弱者と次世代に回される.
 このような観点を共有して,われわれは,縮小時代の技術と社会を広範囲の視野から考える場を持ちたいと思います.メンバーになっていただければ幸いです.
 第1回目の会を下記の要領で持ち,自由に意見を交換したいと思いますので,参加していただければ幸いです.

時:2008年6月4日(水),17時―19時
場所:工学部物理工学校舎(機械工学)107室
 
平松 幸三 京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科
 Tel: 075-753-7835
E-mail: hkozo+asafas.kyoto-u.ac.jp
(+を@に変更してください)
松久 寛 京都大学工学研究科機械理工学専攻
 Tel: 075-753-5225
E-mail: matsuhisa+me.kyoto-u.ac.jp
(+を@に変更してください)